「おんな城主 直虎」第33回 感想めも

個人の勝手な解釈ですのであしからず。
半分くらいは政次となつについてです。

政次にとってのなつの存在

川名の隠し里での場面。
「休んでおれ。疲れたであろう」
「義兄上こそ、お疲れにございましょう」
いつも相手を思いやっているふたりの様子がこの短い会話にも表れているよう。

あと一歩のところで近藤にはめられ、直虎一人を城に残し、気が気ではないはずなのに、妙に明るい雰囲気で急に川名のお祭りの話を始める政次。なつに心配かけまいと気遣っているのかなと。
「さんざんな」と笑うなつに、政次も「さんざんだ」と、今までなつに見せたことがないような屈託のない笑顔を見せる。こんな追い込まれた状況でも、なつと話していると自分はこんなにも自然に笑えるのかと少しハッとしたような感じで。

この時に、政次は改めてなつの大切さを身にしみて感じたのかも。事が成っていれば、もっとなつにきちんと向き合って愛せるようになったかもしれないと。あったかもしれない幸せな未来が想像できてしまった。でも、それはもうきっと実現しない。

ふいになつに膝枕する政次。もうなつとこうして過ごせるのもこれが最後だから、少しは夫婦らしいことがしてみたくなったのか、それとも、自分を慕ってくれたなつに報いるために最後に夫婦らしい時間を作ってあげたのかったのか。いずれにせよ、政次がそうしたかったからしたこと。
前回「かたちばかり」と求婚されたのに、当たり前のように膝枕してくる政次に動揺しつつも、やっぱり嬉しそうななつ。

検地の思い出話が意味するもの

政次は横になったまま、川名の隠し里にまつわる思い出話というより、検地の時の直親の愚痴をこぼす。当時の直親と次郎様の無自覚な発言や振る舞いは政次を深く傷付けていただろうし、それを誰にも言えずわかってもらえず、ずっと政次の心にひっかかっていたこと。
そんな心の古傷を素直に「ひどくはないか?」と笑い話として話せて、「はい」と笑ってくれるなつがいる。それだけで政次は救われたと思う。「ひどくはない?」の時に体起こしちゃうところがなんだか子供っぼくて可愛い。

「しかし、それでよかったのかもしれぬ」は、今こうして井伊の危機に皆が隠し里に逃げ込み助かっているのは、直親の無茶振りに従って隠し里を守り抜いたからこそで、幼なじみでもある直親に罪をなすりつけられ、自分は辛い思いをしたけど、ああしてよかったんだと実感したのだと思う。
「なつが笑う話となった」は、井伊の皆が助かり、なつも助けられ、今こうしてなつが笑ってくれたからもうそれでいいんだよと、なつを喜ばせるために言ったことではないかなと。

政次が普段言わないようなちょっと甘いことを言ったかと思ったら、察しのいいなつはここでハッとする。自分が犠牲となり結果的に井伊の皆が救われ、それでよかったと笑う政次と、先刻「なんとか致します」と言った政次が結び付き、「なんとか」がどういうことなのか気付いてしまったから。

この検地の思い出話は、ただの愚痴のように見えて、話の一連の流れが“小野の本懐”とはどういうことなのかを具体的な一例として表しているのではないかと。この後、牢で龍雲丸に語ることにもそのまま通じている。
「忌み嫌われ井伊の仇となる」
「それこそが小野の本懐」
自らが犠牲となり井伊を救うこと、それが政次の本懐であることを、ずっと近くで見てきたなつは知っていたのだと思います。

碁石となつ

政次の袖から出てきた白い碁石を、自分の袖に持っていたなつ。よく考えると、昨晩、城から逃げて来る際に政次にかなり急かされていた中で、なつはわざわざこの碁石を持って来ていたわけで。どこまでも義兄思い。しのだったら確実に捨ててると思う(笑)
碁石を受け取った政次は、慈しむようにじーっと白い碁石を見つめていて。自分の膝の上で、明らかにおとわのことを想っている政次の目を、そっと手で隠すなつ。

「今はなしです。今“だけ”は。」
なつが初めて見せた嫉妬心。それでも、もう政次といられるのは最後かもしれない場面でさえも、政次のおとわへの想いを決して蔑ろにはせず、政次にとって自分は全てではなくていいという謙虚さがなつらしい。ノベライズでは政次の目を隠すのではなく、なつが碁石を隠すように政次の手を自分の手で隠すとなっていて、他の女は見てほしくないような切実な感じだったけど、ドラマでは思いの外カラッとした言い方なのがよかった。政次を困らせないようにという心遣いかな。膝枕されている間も、政次になるべく触れないように気を遣っている感じで。呼び方も相変わらず「義兄上」で、「かたちばかり」を一生懸命守ってるのかなと。

なつは自分の想いが届かないからといって誰かを恨んだりせず、直虎に対して嫌な気持ちがないところ、何よりも政次の気持ちを大切に思っているところが素敵。同じように政次も、龍雲丸に嫉妬はしても恨んだりしない、むしろ人としては認めてる。例え自分が報われなくても、好きな人の想いを尊重し、その人の望むとおりにしてあげたい、支えになりたいと思ってしまう性分は、なつと政次はよく似ていると思います。

政次の想いの変化

32話では、政次は「かたちばかり」と言い、なつはそれを承知しながらも政次に寄りかかるのに対して、33話では、なつは「かたちばかり」を意識してるけど、政次は膝枕をするという、構図が逆転しているような感じ。
32話の段階では、政次からなつへの家族以上の愛情は読み取れなかったけど、33話の「なつが笑う話となった」と、特に最後の「はい」には、これまで以上になつへの愛しさが滲み出ているように感じました。それが、なつの想いに報いるための優しさだったとしても、おとわへのそれとは違う種類の、そばにいてほしい、大切に思っているという政次の真心は、なつに伝わったのではないかなと、勝手に思っています。32話よりずっと政次がなつの想いに応えてあげているように見えました。

ノベライズの印象

この膝枕の場面、ノベライズと台詞はほぼ同じなのですが、文字で読んだ時はもっとしんみりした印象を勝手に受けておりました。膝枕をして直親の愚痴をこぼしたのは、政次が死を覚悟して子供に返ったようなものだったのではないかと思っていました。妻に甘えているというよりは、母に甘えているように感じてしまって。なつに「今はなしです」と言われて「はい」と答える政次が、母と話してる子供みたいだなと思ったり。政次がなつに敬語を使うのも今までなかった気がして。ノベライズでは、政次の「はい」の後に「これが二人で過ごす、最後のひとときになるかもしれぬ。政次は、なつに優しくほほえんだ。」という地の文があり、これが最後だから優しさであんなふうに微笑んだともとれるかなと思います。

ドラマではとても明るい雰囲気で。おそらく政次もなつもお互いこれが最後になることを理解していながらも、今この瞬間を笑顔で過ごせたのは、相手を思いやれる聡明な二人だったからこそだと思います、政次はなつに心配をかけたくないから、これから自分がしようとしてることは言わずに優しい笑顔を向けるし、なつは政次を困らせたくないから全てを察した上で「行かないで」なんて泣いて引き止めたりしない。ただただ微笑み合う、どこまでも美しくて切ない月のようなふたり。

政次となつのシーンの意味

直虎と政次の最後を考えると、対比がすごい…。
32話や33話でのなつとのシーンは必要だったんだろうかと、ノベライズを読んだ時は正直疑問だったのですが……。

33話でなつを愛おしそうに見つめる政次を見ても、政次が女性としてなつを選んだみたいな解釈は私にはできなくて。やはりなつは心安らげる家族の象徴のように考えています。義妹以上妻未満くらいの関係であってほしい。(ただの願望)

政次がおとわと井伊のためだけに生きていたわけではなく、そばにいてくれた家族も大切にしていたという描写があることで、政次の人物像がより立体的になるのかなと。そうすることで、自らを犠牲にしてまで守りたかった井伊の意味もより大きくなるというか。政次が守りたかったもののひとつなんだと思います。
話が逸れますが、奥山殿を斬ってしまい、なつに助けてもらった時、「いつか、この礼は必ず」と言った政次に、なつは「亥之助をお守りさえ頂ければ」と返していた。その約束を守るためにも、政次は井伊を守りたかったんだなと。

また、なつとの時間があることで政次自身がおとわへの想いを改めて強く感じてしまっているところがあると思います。なつにはちょっと残酷だけど…。政次自身自覚しきれていなかった自分の中にある想いが、他の場所に行くことではっきりと浮き彫りになるような。
なつとの穏やかで切ない理性的な関係と、直虎との激しく情熱的な魂の繋がりが対照的で、後者の性愛を越えた壮大さや尋常じゃなさがより際立つ気がします。

なつに求婚してるのに切々とおとわへの愛を語り出したり、なつに膝枕しながらおとわに想いを馳せたり、おとわのことになるとどうしようもなく感情がこぼれ出てしまう不器用な政次が個人的には大好きなので、そんな政次が見れたという意味でも、なつとのシーンはあってよかったのかなと思います。

政虎と政なつ

余談ですが、個人的には政虎も政なつも両方好き(でも僅差で政虎がリード)なので、この膝枕のシーンを見ると私の中の政なつ派と政虎派が暴れ出してちょっと疲れます(笑) すごく素敵なシーンで大好きなのに、胸がざわざわする……。
正直、ノベライズを読んだ時点では、政次の死以上になつへの求婚と膝枕がショックで受け入れるのが難しかったけど、ずーっと残っていたもやもやが今ほとんどなくなったのは、やはりドラマの政次の最期があの完璧な形だったから。あのおかげで色々とすっきりしたし、「おんな城主 直虎」がより一層好きになりました。
それでも、いまだにざわざわ感が完全にゼロにはならないのは、もう感情はコントロールできるものではないから致し方ないんだ!と思うことにします。

牢での政次と直虎

牢に政次が連れて来られ、直虎が「共に徳川につくと話をしたではないか!共にしの殿を差し出し、共に……」と言うと、ぐいっと直虎に近寄り「信じておられたとはおめでたい」と言いながら真っ直ぐに直虎の目を見る政次。直虎が喋りだしても目は離さないまま。これは、もうひとつの「信じろ、おとわ」ということか。台詞もそうだけど、何よりも目がそう語ってる。

龍雲丸

牢にいる政次を助けに来てくれた時「井伊のために誰よりも駆けずり回ってきたのはあんたじゃねえか」と言ってくれたのが嬉しかった。政次も龍雲丸のことを認めていたけど、龍雲丸もまた政次のことちゃんと見ていてくれてわかってくれていたんだなと。

みなさん言われている通り「和尚様がおるし、…………おぬしもおるではないか」の政次の間の取り方は本当に趣深い。龍雲丸を認めてるからこそ言えることでもあるし、それゆえに滲み出る嫉妬。小野の本懐が理解できない龍雲丸に「分からずともよい」と言う政次はちょっと得意気で。初めて龍雲丸と対面した時に火鉢に足をかけたように、武家ではない龍雲丸へのマウンティングなんだろうけど、あの時とは違って信頼のこもった優しい瞳で龍雲丸を見つめる政次。この二人揃っての活躍をもう少し見ていたかったなぁ。

政次の前では「わかんねえわ、俺にゃあ」と言いながらも、ちゃんと政次の想いを汲み取って精一杯直虎に伝えてくれた龍雲丸。頭、ほんといいやつ。政次なき後は、直虎のことをつかず離れずの程よい距離感で支えてくれたらいいんだけどなぁ……。あんまり仲良くされるとときめくというより、もやもやしてしまうので。

直虎

牢での政次との会話を聞き、龍雲丸に「あの人はやりたくてやってんだよ!」と言われ「お前に何がわかる!」と突き放す直虎。31話で政次が子供を殺めた時も、龍雲丸が政次は恐らく後悔してないと言うと「頭に何がわかる!」と同じことを言っていた。政次のことを誰よりも知っているのは自分だと、政次との絆には例え龍雲丸であっても立ち入られたくないという、直虎の政次への異様なまでの特別な想いが感じられる。ふたりの絆に誰にも立ち入らせたくないという感覚は直虎の方が強かったのではないかと。

井戸端で碁石を見つめながら途方に暮れる直虎。和尚様に「これは一体……どういうことなのでしょうね。私に次の手を打てということなのでしょうか」と問いかける。城主として自分がなすべきことは何なのか。そして、一人になり「政次……我は……我は何をすればよい?今更……そなたに何を……」と涙を流す。龍雲丸から政次にとっての井伊とは自分のことだという真意を聞き、おとわとして政次に何ができるのか。

ちなみに、ノベライズでは碁石は33話では直虎の手元にはないので、前半の和尚様とのやり取りはありません。

翌日、和尚様が磔になる政次に引導を渡しに「行くか?」と声をかけると、冷たく感情のない声で「参ります」と答える直虎。「私が送ってやらねば」は、直虎として政次を奸臣にしきることで井伊を守り抜くこと、そして、「我が送ってやらねば」は、おとわとして政次の愛に報いることの決意だったのだと思います。この時の直虎の目が、12話の井戸端で直虎に「裏切るつもりで裏切ったのか……」と責められ「恨むなら直親を恨め」と言った時の政次のあの感情を失った目を思い出す。直虎は自分の心を殺さなければ政次のところには行けなかったのだと思う。

政次と直虎

検地の後、井戸端で直親に「井伊を守るのは、おとわのためだと思うてはもらえぬか?」と言われ、「お前のそういうところが好かぬ」と答えた政次。当時の政次は自分の役目とおとわのことは全く結び付いていない。それが、直親が殺され、直虎が城主となり、18話で和解した時から、政次が目指すところが、あの時直親が言っていたことと同じになっていたのかなと。井伊のために全てを捨てたおとわのために、井伊を守ると。

龍雲丸が助けに来ても自ら処刑されることを選んだ政次。政次が言うように自分が逃げたところでまた井伊が危険にさらされるというのは確かにその通りかもしれないけど、もはや井伊の誰もが政次の死は望んでいなかったはず。これまでどんなに危ない橋を渡ることになろうとも、おとわの好きなようにとしてきた政次が、最後ばかりはおとわが怒るのをわかっていながら、「それこそが小野の本懐」とおとわのため井伊のために自我を通す。次郎様が井伊のために還俗しないと決めた時も、直親を振り切ってカビた饅頭になることを自ら選んだ。たとえ愛する人がそれを望んでいなくとも、井伊のために清々しくその身を捧げる。ふたりの信念はずっと同じだったのだと思います。

牢で「信じろ、おとわ」と目で伝えたこと、直虎はちゃんと理解して、井伊のために政次をうまく使うという答えに辿り着いてくれた。そして、おとわとして自らの手で政次の胸を突くことで政次の想い応えてくれた。さらに、直虎自身が政次との絆に誰も触れさせたくないという強い気持ちがあったと思うので、あれは政次のためであり直虎自身の意思だったのではないかと思う。直虎は最後まで政次のことを一人の男としては見ていなかったかもしれないけど、政次と同じように色恋の愛情を越えた大きな大きな想いが、心の奥深く魂で繋がっている絆があったはず。

磔の場面は、放送直後からのみなさんの解釈が素晴らしくて、それにただただ感動するばかりで、自分ではうまく言葉にはできないんですが……。絶対に手に入らないと思っていたおとわが政次だけのものになった感じがして。これほど激しくて重くて苦しくて切なくて美しい愛があるのかと……。直虎に刺され、罵られた後の政次の笑顔が「いつも予想の斜め上をいく俺のおとわ」みたいな笑みだったというようなツイートをされている方がいて、「俺のおとわ」っていう表現が最高だなと。個人的に一番しっくりきた言葉でした。

小野としての本懐を遂げ、政次としても本望であったと思える最期は、最高のシーンだなと思うのですが、やはり何度見ても緊張するし辛い……でも、毎日手が勝手に再生ボタンを押してしまう。

「地獄へ落ちろ、小野但馬」
「地獄の底から、見届け……」
この台詞、1話でのおとわと鶴丸の最初の登場場面が“鬼ごっこ”で、鶴丸が鬼だったのも伏線になっていたのかなと。最初からああなる運命だったのかと思うと悲しすぎるけど、鶴丸の、政次の人生がより尊く思える。

辞世の句については、みなさんの解説や解釈にひたすら感動するばかりで。
ちなみにノベライズでは、辞世の句は33話の時点では出てきていません。

ノベライズ版の政次の最期

政次が磔になる日、井戸端での和尚様の引導を渡しに行くかという問いかけに直虎は無言のままで、「認めなければ、政次は死にはしない」という理論でその場から動かない。「……ならば、 せめて、ここで経でも読んでやってくれ」と言い去る和尚様。この台詞は、7話の検地の時、直親の味方をしてやってほしいと言いにきた次郎様に政次が言った「なんの覚悟もないのなら、寺で経でも読んでおれ」に通じているのかなと。ノベライズの直虎は政次に引導を渡す覚悟すらないのに対し、ドラマの直虎は政次と共に地獄にいく覚悟があった。

牢番に「出られよ」と言われた政次は通路を歩きながら、おとわと過ごしたこれまでの日々を振り返る。鬼ごっこでおとわが川の淵に飛び込んだこと、「鶴は何もしておらぬ」という言葉で救ってくれたこと、夫婦約束を反故にされたこと……裏切りを責められた日、お互いを利用しようと約束した日。囲碁で心の内を語り合った日々が一番幸せだったかもしれないと。そして、ドラマのラストシーンの陽の光の下での囲碁の約束を空想する……約1ページに渡っておとわとの思い出が綴られ、迷いも後悔もなく死出の旅に出る、という流れ。

ドラマ版が最高だったのは言うまでもないし、ドラマがあれで本当によかったのですが、ノベライズは政次の磔のシーンの描写は一切なく、おとわとの思い出を胸に旅立つ政次が清々しく爽やかに描かれていて、処刑という結末をこんなに美しく描くことができるんだなぁと思いました。
ノベライズとドラマの分かれ道となる直虎の「参ります」が、初見の衝撃を思い出して何度見てもゾクっとする。先がわからないハラハラ感が久々で。まるでその場にいるような感覚で見ることができました。

「おんな城主 直虎」第32回 感想めも

自分の考えを整理するためのめも。
個人の勝手な解釈ですのであしからず。
結局1番納得できる解釈は、ただの願望な気がしております。

直虎と政次

30話以来の囲碁
直虎に自分はやはり城主に向いていないから政次が望むなら城主の座にとどまってもかまわないと言われた政次。
ノベライズにはこの直虎の言葉の後に
「直虎が政次に報いてやれるとしたら、それよりほかにはない。」
という地の文があります。
直虎にそう言われ真っ直ぐに直虎を見つめながら考えを巡らせている様子の政次。

この場面こそ
「では還俗して俺と一緒になるか?」
と言うこともできたはずです。
ずっと心のどこかで「いつか…」とは思っていただろうけど、いざその瞬間が訪れた時に政次が出した答えは殿は殿のままで、と。
この時点で、おとわを嫁にもらうのは違うと気付いたのではないかと。

子供時代、出家してしまい亀の嫁になれないなら亀の竜宮小僧にもなれないと泣き言を言ったおとわに「妻としてより僧としての方が亀を助けられることは多いのではないか」と慰めた鶴。政次が選んだのは正にこれだったのかなと。
誰よりも城主にふさわしい直虎を、家老として誰よりも近くで助ける道。

政次に領主として真に認めてもらえて嬉し泣きしてしまう直虎。政において政次のことを信頼し尊敬もしていたのだなと思います。ふたりで、いや映身とした直親も含めて三人で井伊谷を守りきり、井伊と小野もひとつとなり幸せな未来がもうすぐ訪れる……直虎と政次の本当に穏やか笑顔が、この先の結末を思えば切なすぎるけど、そこにいるふたりにとっては希望に満ち溢れた幸せな時間。

このふたりの充実した表情を見ると、政次がおとわを嫁にもらう道を選ばなかったことを「おとわを諦めた」とか「失恋」とか、ネガティブな言葉で表現するのはなんだか違う気がして。
政次自身おとわに未練がないといったら嘘だろうけど、おとわへの大きな愛は変わらず抱きつつも、「嫁にもらうかどうか」という点ではその迷いからは卒業したのかなと。

政次となつ

個人的に達した結論から言うと、政次はなつを女として好きだから求婚したとは全く思っていません。そんな台詞もなければ政次の表情から“女としてなつが好き”という感情は少なくとも私には読み取れませんでした。
なつと亥之助の前では政次はいつも穏やかな表情をしていて、家族として安らぎを感じていたように思います。

なつが徳川が来れば自分の役目も終わりと言い出したことで、わずかに焦りを見せる政次。
なつが家にいてくれることが当たり前になっていたので、なつのこの発言はおそらく予想外だったのでは。
それを聞いて反射的に「寂しい」と感じ、なつがいなくなれば亥之助も……それも困るし、ではどうするか……そうだ、結婚すればよいのか。という流れの咄嗟の提案だったのではないかと。

政次が今まで嫁をとらなかったのは、やはりどこかでいつかおとわを嫁にもらいたいという思いがあったから。その思いに決着がついたことで、政次は空いている正室の座になつについてもらうことを思いついた。

ノベライズでは「夫の菩提も弔わず、私の慰み者になっておると、心ない噂を立てられたこともあろう。恥ずかしい思いをさせ、いつもすまぬと思うていた」という政次の言葉があるように、なつとかたち上結婚することで、なつ自身や小野家として体裁を整える意味も多分にあったはず。
また、なつが政次を慕っていたことは薄々気付いていたはずで(ノベライズではその旨の地の文がある)、その想いに報いたいというのは政次の優しさだと思います。

少し話が逸れますが……
おんな城主 直虎」で描かれている武家の夫婦で、最初から好き同士で結婚できている夫婦はおそらく1組もいないのではないかと。当時の婚姻はあくまでも家のため。思えば最初から通してこのドラマの中で度々描かれてきたことです。
桜に縁談がきた時の政次の台詞
武家の婚儀とはさようなもの。利用するか、利用されるか。」
政次はいい意味で結婚を“利用した”のだと思います。
家族を手放したくない政次と、政次を支えたいなつがお互いwin-winになるための結婚。

そもそも、政次のおとわへの想いとなつへの想いでは大きさも違えば種類も違う。ゆえに、おとわを嫁にしたかった気持ちと、なつに求婚した気持ちでは、「結婚」というかたちは同じでも、政次にとっては中身が全く別のものです。

政次のおとわへの想いは幼い頃からの恋愛感情を内包した唯一無二の生涯変わらぬ愛であるのに対して、なつへの想いは大切な亡き弟の妻であり長年そばでそっと支えてくれた義妹への感謝と家族愛の域を出てはいない思います。

政次にとって、おとわと結婚することは長年の夢であり自分の幸せを実現するもの。しかし、なつとの結婚は、政次が家族を失うことなく、さらになつに報いるために政次が利用した手段にすぎないのではないかと。
政次は二人の女を愛したわけではないし、おとわではなくなつを選んだということでもなくて、結果的にそうなっただけだと思うのです。

「かたちばかり」とあえて言ったのは、夫婦としての中身は伴いませんよという意味だと思うのですが、それが玄蕃への心遣いであるという意見を聞いて納得。さらに言うと仲の良い夫婦であった玄蕃となつ二人への心遣いでもあるのだなと。

なつに対する「そばにいてほしい」「手放したくない」という言葉は政次の本心でそこに嘘はないと思います。おとわへの唯一無二の愛ごと受け止めてくれたなつを愛しく思う気持ちもあるんだろうけど、ぎこちなく抱きしめる政次の目に熱は感じられない。あんなに近くにいるのに政次の心は他の誰かを見ているようで切ない……。物理的に近くにいることと、愛情の深さはまた別の問題。

なつの想い

政次の突然の求婚に少し驚くなつ。でも真っ先に政次の気持ちを確認します。
突然おとわの話を出されて逆に驚く政次。「え……!?知っていたのか……?」という表情に見えますが、井伊の味方だと井伊家や小野家家臣にバレまくっていたということは、政次がずっとおとわを好きだったことももれなくバレていたのかもしれないと思うとちょっと気の毒(笑)

「ずっとそれをお望みになっておられたのでは?」と強めに問いただすなつ。
おとわのことには触れずに政次の求婚を素直に受け入れることもできたはず。それをあえて聞いたのは、なつが自分の幸せより政次の幸せを考えているからこそだと思います。政次がこれまでどんな思いでおとわのため井伊のために生きてきたかを知っているから。

なつに核心をつかれて、本心を語る政次。
「うまく伝わらぬかもしれぬが、私は幼き時より、のびのびとふるまうおとわ様に憧れておったのだと思う。それは今も変わらぬ。殿をやっておられる殿が好きだ。身を挺してお助けしたいと思う。その気持ちを何かと比べることはできぬ。捨て去ることもできぬ。生涯、消えることもあるまい」
政次の正直すぎる唯一無二の絶対的なおとわへの想いを目の当たりにして「ほら、やっぱり……」といった感じで自嘲気味に笑みを浮かべるなつの目から涙が零れ落ちます。どうしたって自分は敵わない。あまりにも大きすぎる愛。

それでも、おとわへの想いとは別に「そなたにはそばにおってほしいと思う。そなたを手放したくはないのだ」と、なつにも心からの気持ちを伝える政次。
不器用ながらも本心を語ってくれて自分を必要としてくれたことが、なつは素直に嬉しかったんだと思う。口では「殿のことは何とも思ってないと、そう言うものですよ」とチクリと指摘しながらも、そんな不器用さが政次らしくてよかったのかもしれない。

なつの「わたくしがお慕い申し上げておるのは、さような義兄上様にございますゆえ、致し方ございませぬ」の部分がそれまでの口調より一段階上の敬語になっているのは、政次のおとわへの想いを尊重して、自分は慕っているけど「かたちばかり」でも構わない、わきまえていますという意思を表しているのかも。
聞き分けのいいなつだから、自分の想いが100%は叶わなくても、求められたかたちで尽くしていこうと。
でも、そう言いながらも再び政次の肩に静かに泣きながら寄りかかるところは、女としての苦しさが滲み出ているようで、慕う人からの求婚なのにどこか悲しげで。
政次の心が自分にないことを、おそらく政次以上になつは感じてしまったのではないのかなと。
そんななつの聡明さが美しくて切ない。

あの夜致したか否か問題

上記のように解釈したので、これはないと思ってます。
玄蕃の死後もなつが小野に残りたいと言った時、幼い頃の玄蕃にそっくりな亥之助がいてくれることに涙した政次が、事も成っていないのに玄蕃を裏切ってまで致せるほどなつのことは好きではないと思う。玄蕃を大切に思う気持ちはなつも同じだろうし。
これで、後になつに子ができるような展開になったら、それはその時に考えます(笑)

「おんな城主 直虎」ノベライズ三巻 感想 (ネタバレ)

※ネタバレですので、お嫌な方はこちらでお引き取りくださいませ。
※歴史に詳しいわけでもなく、読解力も文才もない、気持ちの整理のためのメモです。











おんな城主 直虎 三

おんな城主 直虎 三

ネット注文していたため、発売日には手元に届かず、史実は調べていたので政次の最期がどうしても気になり発売日に書店で32、33話を流し読みしました。「どんな最期になるのか」「直虎への想いは告げるのか」といったところが気になって読んだのに、まさかのなつへの求婚というサプライズ展開があまりにも衝撃的で……さらに、なつに「膝枕」という文字にも二度見してしまうほど驚かされました……あの政次が膝枕とは……

覚悟はしていた「政次の死」がノベライズで確定してしまっただけでも辛いのに、それに加えて全く想像できていなかった「なつへの求婚と膝枕」がどうにも納得できず、手元にノベライズが届くまでの2日間は本当に気落ち致しておりました……流し読みだったので政次の台詞もしっかり読めていなかったというのもあるのですが。直虎を一途に想う政次が大好きだったけど、そんな政次をさりげなく支えてくれていたなつのことも大好きだったので、不憫な政次を見ていて「なつと一緒になった方が幸せなのでは」と思ったこともあったはずなのに、いざそうなるとこんなにもショックだとは……自分は政次と直虎が好きだったんだなと思い知らされました。

その後、手元にノベライズが届き、あんなに楽しみにしていたはずなのに読むのも怖くて気が重くて、それでも現実と向き合おうと決意して読み始めました。32話と33話がどうしても怖かったので、気持ちを落ち着かせるために25話の録画を再生しながら読み進めました。辛くなりそうになっても25話の二人の絆を見て安心できるので、結果的にこれがすごくよかったと思います。もしこれからノベライズ3を読まれる方にはおすすめします(笑)

そんなこんなで、改めて心して読んでみると1回目にきちんと読めていなかった部分があったことに気付き、色々とだいぶ印象が変わり、ようやくノベライズを受け入れることができました。

なつ

なつとのことはある意味、政次の死以上に衝撃的だったかもしれません。ノベライズいちのサプライズかと。私はノベライズを読むまで、政次となつのシーンが大好きでした。政次の真意にいち早く気付き、そっとそばで政次を想うなつと、なつの前だけでは仮面をかぶることなく柔らかい表情を見せていた政次、ふたりの家族の絆に温かい気持ちになっていました。
それが、ノベライズを最初に流し読みした後は、そんな気持ちが急になくなってしまい、途端になつに対して好意を持てなくなった自分がいました。報われたのはなつだけではないか……と思ってしまって。例えるなら、友達とずっと一緒に憧れていた手の届かない先輩が、ある日突然友達に告白してきて付き合うことになった時、のような気持ち(笑) なつのことを一緒に政次を陰で応援している同志のように思っていたからかもしれません。膝枕の時に碁石を見つめる政次に「今はなしです」と言う台詞もどうにも受け付けなくて……

でも、改めて落ち着いて読み進めると、なつに非などもちろん1ミリもなくて。なつを嫌いになる要素などなかったことに気付きました。
まず、「一緒にならないか」と言われた時も、政次の直虎への想いはもういいのかとわざわざ確認するのも、政次が後悔しないようにという優しさでもあったと思うし、「かたちばかり」とか直虎への唯一無二の生涯変わらぬ愛を散々目の前で語られるという、デリカシーの欠片もない求婚スタイルだったにも関わらず、そんな不器用な政次の想いを「仕方ありませぬね」と言いながら素直に喜ぶなつがいじらしくて可愛いくて。
膝枕の碁石のくだりも「今はなしです、今“だけ”は」と、もう政次といられるのは最後かもしれない場面でさえも、政次にとって自分は全てではなくていいという謙虚さも感じられて、ほんのささやかなわがままがなつらしいなと思えました。こんなささやかなわがままさえ受け付けなかった流し読みした直後の心が狭すぎた自分が情けない(笑)

というわけで、一瞬嫌いになりかけたりもしましたが、なつはやっぱり大好きです。しのと対照的に、自分の想いが届かないからといって誰かを恨んだりせず、直虎に対して嫌な気持ちがないところがやはり素敵だなと。直盛から与えられた役目を果たそうとする忠義深さや、立場をわきまえつつも時には目上の者にも物申す芯の強さも好きなところです。例え自分が報われなくても好きな人の支えになりたいと思ってしまう性分は、政次ととってもよく似てるなと思います。

政次

史実は調べていたので、処刑されることは知っていましたが、ドラマではなんとか生き延びてしまうミラクルもあっていいのでは……なんて淡すぎた期待も虚しく、史実通りバッサリ処刑となってしまいました……最初に流し読みした時はやはり、処刑されたことも去ることながら、何故最後になつ!?と思ってしまって全く納得がいかず悶々としました。でも、政次についても改めてノベライズを読むと、求婚の場面でも自分の最期の場面でもおとわへの愛がこれでもかというほど溢れ過ぎていて、死んでしまうのは悲しいけど、最期まで政次にとっておとわが全てだったことが嬉しいやら切ないやらで、引くほど泣きました。

なつへの求婚の場面。よくよく台詞を読むとまぁ~ひどい(笑) 相手がなつではなくしのであったら、その場で叩き斬られていたのでは(笑)
あんなにもはっきりとおとわへの想いを語る政次が見られるなんて。それが本人の前ではなく、なつの前というのがなんとも切ないのだけど。政次はおとわをいつまでも幼なじみのおとわとしてタメ口で叱りつけたり、打掛けの裾を踏んだりもする一方で、決して自分なんぞが軽々しく手をつけてはならないというように、もはや神格化していたのだなと思います。一生さんが公式ガイドブックのインタビューで直虎のことを「まるで神のよう」と言っていたのを、最初に読んだ時は大げさに思えたのですが、今となってはおっしゃる通りだなと。

それとは別になつを大切に思う気持ちも、大きさは違えど心からのものだったと思います。色恋のようなものではなく、家族への愛情のような。なつと過ごす最後に膝枕をして直親の愚痴をこぼしたのも、死を覚悟して子供に返ったようなものだったのではないかと思います。妻に甘えているというよりは、母に甘えているように私は感じました。

龍雲丸が助けに来ても自ら処刑されることを選んだ政次。政次が言うように自分が逃げたところでまた井伊が危険にさらされるというのは確かにその通りかもしれないけど、もはや井伊の誰もが政次の死は望んでいなかったはず。これまでどんなに危ない橋を渡ることになろうとも、おとわの好きなようにとしてきた政次が、最後ばかりはおとわが怒るのをわかっていながら、「それこそが小野の本懐」とおとわのため井伊のために自我を通す。次郎様が井伊のために還俗しないと決めた時も、直親を振り切ってカビた饅頭になることを自ら選んだ。たとえ愛する人がそれを望んでいなくとも、井伊のために清々しくその身を捧げる。ふたりの信念はずっと同じだったのだと思います。

自らの命をもっておとわを守る。それが政次にとって本懐だったことは確かであろうし、政次が清々しくこの世を去れたのなら、処刑という悲惨な最期も受け止めるしかないかなと思いつつ、政次のばかーー!という気持ちもやはりあります。頭と共に逃げていたら……陽の下で碁を打つふたりが見たかったです。

辞世の句、生涯消えぬと言ったおとわへの想いがここに全て詰まっているようで、尊すぎて言葉では言い表しようがありません……

史実では政次が死後、悪霊となって現れたそうですが、ぜひドラマでも死してなおおとわと井伊を助ける政次を見てみたいです。NHKさま!

直虎

政次との最後の対面があんな感じになるとは思っていませんでしたが、やはりふたりの関係は直接的な触れ合いや言葉ではなく、心の奥深くで魂で繋がっている絆があるということなんだろうなと。むしろそっちの方が深くて尊い。それはわかるんだけど、最後だけは冷た家老以上の何かがあったらいいのに……なんていうあまっちょろい考えを決して許してはくれない森下さん(涙)

直虎は最後まで政次のことを一人の男としては見ていなかったと思っています。切ないけど。でも、それでも政次と同じように色恋の愛情を越えた大きな大きな想いが政次に対してあったはず。それをうまく言葉で表現できないのですが。何ヵ月も死を受け入れられないくらい政次は直虎にとってなくてはならない存在だったのは確かだと思います。

政次が子供を殺めてしまった時、頭に牢での政次との会話を聞いた時、『頭に何がわかる!』と珍しく頭を突き放す直虎が好きです。政次のことを誰よりも知っているのは自分だと、政次との絆には例え頭であっても立ち入ることはできないと言っているようで。
もちろん、最後に一緒に囲碁をした場面も大好きです。政次に領主として真に認めてもらえて嬉し泣きしてしまう直虎。政において政次のことを信頼し尊敬もしていたのだなと思います。ふたりで、いや三人で井伊谷を守りきり、井伊と小野もひとつとなり幸せな未来がもうすぐ訪れる……この先の結末を思えば切なすぎるけど、希望に満ち溢れた幸せな時間。

政次が自分に対して幼い時からずっと好意を抱いていたこと、直虎は気付いていたのかどうかが私にはうまく読み取れず……龍雲丸に『あの人にとっての井伊ってのはあんたなんだよ』と言われた時、辞世の句を読んだ時、直虎は政次の想いをどう受け止めたんだろうというが気になっていて。でも何回も読んでみて、龍雲丸に話を聞いた後の『われは何をすればよい?今さら、そなたに何を……』という直虎の台詞、政次を助けるためにどうすればよいのかという意味だと思っていたのですが、「今さら」の部分が政次の想いを知っての言葉なのかなぁと思ったり。でも違うのかなぁと思ったり。

龍雲丸

牢にいる政次を助けに来てくれた時『井伊のために誰よりも駆けずり回ってきたのはあんたじゃねえか』と言ってくれたのが嬉しかったです。政次も龍雲丸のことを認めていたけど、龍雲丸もまた政次のことちゃんと見ていてくれてわかってくれていたんだなと。政次が直虎への最後の伝言に何も言わなくても、ちゃんと政次の想いを汲み取って精一杯直虎に伝えてくれた。頭、ほんといいやつ。政次なき今、直虎のことをつかず離れずの程よい距離感で支えてくれたらいいなと。あんまり仲良くされるとときめくというよりもやもやするので。

大河ドラマおんな城主 直虎

高橋一生さん演じる政次に魅了されて以来、ドラマ自体にもすっかり心を奪われ毎週夢中になっております。登場人物一人一人の心情の変化や、複雑な感情、人間の多面性が丁寧に描かれているところがこのドラマの最大の魅力だと思っているのですが、それを表現されているキャストの皆様が本当に本当に素晴らしくて…!どの役にも1つのイメージだけではない違う面があったりして。いい所もあれば弱い所もあったり、そうゆう人間味がどの役にも感じられてみんな大好きです。

政次を見ていると、演じているのが高橋一生さんだということを忘れてしまう時があります。頭から指の先までもう政次にしか見えない。ご本人がよくおっしゃるように、まさに「そこに居る」。役の人間のその場面でしか出てこない表情を繊細に表現されていて、その表情が無限にあるように感じるというか、演じているというより役の人間の感情が表情に涌き出ているように見えます。一生さんのお芝居は作品をより輝かせる力があると思います。

また、印象に残る音楽も、ひとつひとつの場面を時には盛り上げ、時には寄り添うように作品を彩っているのが素敵。あと、画が美しい。役者さんの瞳が光で透けるような撮り方の場面がすごく好きです。


後半だんだん雑になってしまいましたが……
つまるところ、「おんな城主 直虎」はすごくおもしろしいし、高橋一生さんのお芝居が魅力的すぎる。ドラマを見ていない方に宣伝してまわりたいくらいです。